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実力も運のうち?ハラスメントの本質を考える

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弁護士の前田牧です。
先日新聞を読んでいたら面白い記事を見つけました。
新聞記事「私は食洗機じゃない!」
とある女性職員(管理職ではない)の方が仕事をしていたら理事長である男性が自分が使ったカップを流しに置いて「ここ、置いとくね」と声をかけていたそうです。
その女性職員の方は、それで私にどうしろと言うのかと思ったとの投稿でした。

投稿のタイトルは「私は食洗機じゃない」と言うものでした。
この投稿者の方の職場に限らず、職場には経理、営業、打ち合わせ、書類作成、というような名前のある業務以外にも、名前のない業務がたくさん存在します。例えば郵便受けから新聞を取ってきたり、観葉植物に水をあげたり、空気清浄機のフィルターを変えたり・・・挙げればキリがないでしょう。
こういった名もなき業務は伝統的に女性の仕事とされてきたように思います。
これが近年では職場のヒエラルヒーと相まって事務職員の仕事とされてきたのではないでしょうか。
この投稿にもあるように、他者から評価される高尚な仕事は職場のヒエラルヒー的にも上の人の仕事、そうでない仕事はヒエラルヒー的に下の人の仕事と考えられているように思います。
実はこれは男尊女卑が形を変えたものに他なりません。
こういう風に説明すると、「女性でも努力して高い地位につく人はいるから男尊女卑と同列に語るのはおかしい」と言う反論をしてくる方が往々にしておられます。
この論理は、女性でも努力している人は高い地位につける、名もなき業務のような他人に評価されない仕事をせざるをえないのは自分の努力不足の結果であると言う自己責任論に基づいています。
この自己責任論は、一見合理的なように思えるのが恐ろしいところです。
しかしよく考えてみましょう。例えば政治家、例えば医者、例えば弁護士、例えば企業の管理職、こういった職業には圧倒的に女性が少ないと言う現実が誰の目にも明らかでしょう。
女性が努力していないから数が少ないのでしょうか。それとも女性の努力とは別の要因があるのでしょうか。
女性が少ないことの要因のひとつは、男性なら特別優秀でなくても出世できるが女性は特別優秀でなければ出世できないと言うことです。

もう一つの要因は、家庭責任(ここでも名もなき家事と言う言葉が出てきますが)を負うのが女性であると考えられている事です。
このような要因によって女性は社会において地位が高いとみられがちな職業に就くことが難しくなっているのです。
昨年日本語訳が発売された、ハーバード白熱教室で有名なマイケル・サンデル氏の「実力も運のうち 能力主義は正義か」という本があります。
この本では、実力や努力によって勝ち取ったと思っていても、実は「運」によるものがほとんどなのだと語られています。
だから、格差の原因を努力不足と結びつけて正当化するのは不合理であるということです。
確かに、男に生まれるか女に生まれるかは、その人の努力とは関係ない事柄です。それにもかかわらず私たちの人生はどちらに生まれたかによって大きく左右されます。
現代日本では女性に生まれると、生涯年収は男性よりも低くなる確率が相当高いといえます。これは果たしてその人のせいでしょうか?

さて新聞の投稿に戻ってみましょう。なぜ理事長は自分の使ったコップをここに置いとくねと言っておいていったのでしょうか。なぜ投稿者である女性職員はそれを不愉快に思ったのでしょうか。
職場のハラスメント防止のご相談を受ける際に、どこからがハラスメントになるのかその境界を教えて欲しいと言われることがよくあります。正直言ってこれに答えるのは大変難しいことです。
できれば境界を考えるのではなくハラスメントの本質を考えてもらいたいのです。
ハラスメントの本質は職場における差別に根ざしています。相手をどういう理由かで(女だから?職業的に格下だから?年下だから?)下にみているからこそ、相手を尊重している場合であれば起こり得ないことが起こるかのです。
この新聞の投稿は職場における差別の本質を考えるにあたり大変良い事例だと思いますので、深く考えてみるきっかけにしていただけますと幸いです。

(弁護士 前田)
実力も運のうち 能力主義は正義か?

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